休職に至った経緯

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このブログは前回の記事の続きです。

ご存じの通り、ひろ*は長年スーパーの店員をしていました。

ある時から食品売場に異動し、なれたところで2023年に違う売場に行きました。

そこでも人間関係を1から構築し、一緒に働く人たちとコミュニケーションをとって売場を運営してました。

ですが、今年の3月から元居た売場(食品)に戻され、上司の代行者としての業務をしなくてはならなくなりました。

ひろ*
ひろ*

毎日忙しさに追われながらも、なんとか仕事をこなしていました。

お客様対応や発注、売場の計画・作成・商品整理・発注・品出しなど、慌ただしい時間の中にも少しはやりがいを感じていたと思います。けれど、いつの頃からか、心の中に小さな違和感が生まれました。

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原因

その原因は、上司との関係でした。

注意や指導の範囲を超えた言葉が増えていき、先週同じように売場を作成したにも関わらず、強い口調でダメ出しされたり、休みの日だったので報告をメモで残したら「重要なのになぜ電話を入れないんだ?」などといった具合です。

私は次第に「日々怒られないように動く」ことばかりを意識するようになりました。ほんの些細なミスでも強い口調で責められ、誰かの前で叱責される日が続きました。

未熟な自分が悪いのだと何度も言い聞かせ、耐え続けていましたが、心は少しずつ削られていきました。

ひろ*
ひろ*

シフトも不規則で早番→遅番→早番という感じでインターバルこそありますがつらいものがありました。

そして、次第に体調が悪くなっていきました。

今年の8月下旬からは食欲がなくなり、体力が落ちていく中、シフトも相変わらずの毎日を過ごしていました。

そしてある日、通勤途中の電車の中で嘔吐しそうになり慌てて下車をしてトイレに走りました。
そのとき初めて、「ああ、もう限界なんだ」と感じました。

涙が止まらず、呼吸もうまくできなくなり、上司にも電話連絡で休みをもらいました。

そして友人(悪友でおなじみのひめ乃)の勧めもあり、病院で「この状態では辛かったでしょう」と言われました。
その言葉を聞いた瞬間、悔しさと安堵が入り混じった感情が込み上げてきたのを今でも覚えています。

休職を決めたのは、逃げたわけではありません。
自分を守るための、大切な選択でした。
あのまま働き続けていたら、心が壊れてしまっていたと思います。

今は少しずつ、自分の時間を取り戻しています。
まだ不安はあるけれど、今までの自分によく頑張ったねと、静かに声をかけてあげたいです。

自分の身は自分で守るしかないのでこれが正解だったと思います。

続きます。

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